フィリピン留学経験者を魅了するドゥマゲテという場所

このドゥマゲテという場所には、様々な人たちが訪れています。
特にこのSPEAという学校にはとてもいい人たちが集まっています。
でも、みんなどこか影があって、人生の目標や目的を探し求めていたり
過去に大変なことがあって、これから人生を変えよう!と頑張っていたり
自分のコンプレックスに打ち勝つために日々努力をしていたり、
人生の困難に果敢に立ち向かって、切磋琢磨するそんな
人としてとても魅力的な人たちが集まっています。

大規模学校のように、バッチメイトが何十人という規模ではなく
本当に少人数だからこそ、夜な夜な、そんな魂を込めた会話が繰り広げられています。

ドゥマゲテという場所は特別な場所

ドゥマゲテという場所は実に特別な何かを秘めた場所だと感じています。
そもそも、日本からアクセスがあまり良くなく、乗り継ぎをしなくちゃいけないし
とても敷居が高い場所なんですよね。

ましてや、これから留学をしようと考えている人、特にSPEAの場合
初中級者対応の学校なので、英語が得意な人はそうそういません。

そんな中でも、この乗り継ぎをしてまでも、この場所に来る
というのは一体何がそうさせているんだろう?
さらに、セブやマニラと比べると、全く情報量が違うんですよね。

そう、日本語の情報が少ないからイメージができないわけです。
それでも、英語が得意でない中で、乗り継ぎをしてここまで来る人が絶えないのです。

この学校を見た瞬間にここにしようと思った

この学校に来る、生徒さんたちに、よく聞くことがあります。
「なんで、また、こんなドゥマゲテ組んだりまで留学をしようと思ったのですか?」

学校としては、来てくれている以上嬉しいのですが、個人的に、このテーマは
本当に興味深いため、聞くのですが、その中で多くの皆さんが口にする言葉があります。

「WEBでたまたま見つけて、ここしかない。とピンときたから」

本当に10人中7人の方からこのような反応をもらっています。
だいたいの生徒さんは、たくさんの学校を比較して、さらに
エージェントにも相談をたくさんして、最後の最後にたまたま
見つけたこの学校にたどり着くというパターンが多いんです

でも、でもですよ。
フィリピンにはたくさんの、素晴らしい語学学校があります。
その中でも正直、うちの学校は「施設が最高にいい」わけでもないし
「WEBサイトが最高におしゃれなわけじゃない」
「値段も、高くはないけれども、安くもない」
むしろ探せば、全然安いところはたくさんあります。

でも、みんな、そんなことは御構い無しに、「なんとなくの直感」
で選んでいる人ばかりなんです。

その一つとして、「体験学習」という実際に使って学ぶという
コンセプトもさることながら、それはあくまでも一つのきっかけでしかなくて
それ以上のなにかを感じて、期待してきてくれている人がたくさんいます。
なんでなんだろう。

とまあ、ドゥマゲテにはこういう、なんとなく直感で選んで来る人が多いのですが
その、大半の人が、大いに街を気に入って、場所を気に入って、

「また戻ってきたり」
「そのまま住んじゃったり」
「そのまま、ビジネス始めちゃったり」

する人が本当に多くて、体感ではドゥマゲテが嫌で2度ときたくないという人は
今まで、今の所、出会ってはいません。(全然営業トークとかじゃないです)

そんな、人たちがたくさん集まるなんかのパワーがあるドゥマゲテという場所だから、
それはもうすごい人も中にはいるわけですよ。

ここではあまり、細かく深くは書きませんが、

実は最近、人生観が
180度変わる体験をしました。

人は生きていく中で、1日単位で感情の波があると思うんです。
少なくとも私はそんな感じで今まで生きてきました。

だいたい1日の中で、楽しい感情や、
悲しい感情、そしてちょっと怒りの感情とか。

特にこの「怒り」の感情に、人は敏感だと思うんです。

さらに、真剣に人と向き合っている人や、商売をしている人の場合
なおのこと、サービスについてとかそういうところをじっと見てしまい、どこか完璧主義な自分が見え隠れして
ちょっとしたことで「いらだち」を感じる
なんてことがありませんか?

自分はそんな感じでした。

この、怒りの感情って、すごく体力使うし、なんとなく1日を
ダメにしてしまう、それほどまでに自分の感情に影響するパワーが
あると思うんです。

うーん、なんて言ったらいいのかな….

怒りっぽいわけではないんだけど、この「負」の感情が
働き始めると、頭も柔軟にならないで、意識も散漫になっちゃって
本当にやりたいことがやれなくなってしまう、というか時間がただただすぎてしまう。
なんてことが怒ってしまうと思うんです。

これって、とってももったいないし、このなんとも言えぬ
歯車の掛け違いが、イライラするんですよね、これまた。

だいたいこういう感情の時って、人との会話にも身が入らないし
なんとなく、その感情が曇りガラスになって、目の前にいる人が
何を伝えたいのかとか、そういう、真の部分がみえなくなっちゃう。

こういう時って、本当にうまくいかないんですよね。

説明がましくて、堅苦しくてすんません。

マイナスの波長が一切ない最近

何を言いたいかというと、この「1週間」とにかくこの
マイナスの波が、一度も訪れていないんです。

特段、毎日、すごくいいことがあるとか、そういうわけじゃなくて
今までと同じ日々を過ごしているのですが、なんか変わったんです。

人と話をするときでも、その人の裏側にある「歴史」や「思い」という
ものに、注視するようになったのがでかいのですが、とにかく
今、コミュニケーションの本質がわかったような気がするんです。

やっぱりどうしてか、言葉という「テクニック」ばかりに気をつけてしまうと
本当に、相手が理解しているのか、相手はどう受け取っているのか?
どう感じているのか?という本質の部分に全く目がいかなくなってしまうんですよね。

そうではなくて、自然体で、今思うこと、感じることを、思いやりを持って言葉にしながら
受け取る相手の、目の動きや、手の動き、細かな表情の筋肉、相手の出す空気感を
しっかりと感じながら、意思調整を図ることがコミュニケーションなんだと。

言葉をただの音にしてしまっていた

最近読んだ本に面白い一節がありました。

「彼らが魂と言葉とを結ぶ糸を切るとき、魂は空になってイメージが消失し、言葉が空になって、ただの音になる。こうした言葉は、何ひとつ未来を創り出すことはない。

「例? わかったわ。ひとりの男が、観客を前に舞台に立って何かを語る場面。たとえば、ひとりの俳優が、人々が何度も耳にしてきた同じ言葉を語る。それでも、人々は、ある俳優が語るときだけ息をひそめて聞き入り、別の俳優のときはそうならない。言葉は同じなのに、そのちがいはとても大きい。あなたはどう思う? どうしてこういうことが起こると思う?」

言葉には全ての意味があって、そこにしっかりとした、意思疎通が図れなければ
それはただただ、空間に漂う、音になってしまう。

この音は、時に不快な音にもなるし、しっかりと相手とつながれば
素晴らしく、イメージを共感できるコミュにケーションになる。

そう感じています。
やはり、コミュニケーションの本質は、この言葉をいかに”無情に漂わす音”にしないかが
キモなんだと今、心の底から理解しています。
追伸:
現在SPEAでは「ものすごい」キャンペーンをやっています。
よければ、こちらからチェックしてみてください。

キャンペーン情報

Photo via VisualHunt.com

ドゥマゲテの留学学校SPEAの創業者。 好きな言葉は、アインシュタインの"EVERYTHING YOU CAN IMAGINE IS REAL"想像できることは実現する。 趣味は、音楽とツーリングと読書。最近はお香を焚きながら音楽を聞き、読書をすることにはまっている。 英語学校を作った理由としてあげられるのが、世の中に対する「怒り」からくるものだった。というちょっと熱血漢な人。

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